2019.6.18 artist statement

2019.6.18 artist statement

『Let’s open the window for the first time in many days.  or let’s go break the school window. (今日は久しぶりに窓を開けてみよう。もしくは学校の窓ガラスを割りに行こう。)』

環境犯罪学の世界では「割れ窓理論」というものがあります。建築物の窓ガラスが割れている状態を放置して置くと、周囲の建築物の窓ガラスを誰かがまた割り、その地域の治安はどんどんと悪化するので、犯罪の痕跡を街に残さずに、取り締まりを徹底していくというのもです。社会から抑圧を受け、行き場のない自己を解放するために、窓ガラスを割ってきた表現者たちは、犯罪者として徹底的に取り締まられ、浄化の流れに抗うことは出来きません。

「荒れる中学」といわれた80年代、不良学生たちは校舎の窓ガラスを割って自己主張しました。その後、若者に圧倒的な影響力を持った歌手がヒットソングで、学校の窓ガラスを割ってまわったと歌い、その歌詞に影響を受けた不良でない若者たちも窓ガラスを割りました。昭和まして平成も終わった今、若者の表現の場(ここではあえて表現と言ってみます)は大きく変化しました。

昨年日本でも公開された映画『 ジェイン・ジェイコブズ ニューヨーク都市計画革命』(原題「Citizen Jane: Battle for the City」監督 マット・ティルナー |2016年|アメリカ|92分)をきっかけに、都市ジャーナリストのジェイン・ジェイコブズが再注目されています。彼女は都市犯罪を抑止するためには、人々の営みと建物の用途に「多様性」が必要だと述べています。60年代、モダニズムを下敷きにして、グリット上に建設された集合住宅に住う人々は、そのグリットの都市空間に閉じ込めれていました。彼女は閉じ込められた人々の営みを解放するために行動したのです。

実は、私も窓ガラスを割った事があります。しかし、割った窓ガラスの数よりも、建設作業員として直した窓ガラスの数の方が多いです。そう、誰かが割ったガラスは、誰かが直します。何かを壊す事と、何かを治す事は表裏一体です。誰かを傷つける事も、誰かを救う事も切り離せないのと同じです。私は建設業務上の「直す」という行為が好きです。 建物の修復を通じて、人々の心も修復出来ると信じているからかもしれません。

「直す事」も表現と成り得ます。とうぜん「壊す事」も表現と成り得ます。そうやって我々は、多くのものを傷つけ、それでも救いの術を求めてきました。だから我々は、都市空間に「表現の場」を作っていく必要があるのです。

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