





















《地蔵堂修繕》ステイトメント
災害、伝説、共同体の記憶。様々な文脈が息づく倒壊寸前の抜け殻となった地蔵堂は、作家の手によって、その記憶を留めつつ変態を遂げた。 外観で一際目を引く「青い塗料」は、小名浜を語るに欠かせない水夫たちの船舶に使用されているものである。加えて、地蔵堂近隣に鎮座する海亀と海蛇を祀る諏訪神社の鳥居も同種類の青で着色されている。この艶やかな青は、水夫たちに彼らの誇りである海を、近隣住民には諏訪神社にまつわる個人の記憶を思い起こさせることだろう。
建物の中腹には半透明の波板が配置されており、地蔵堂内部に降り注ぐ外光を追うと、歪んだ「六角形の像」がうかがえるようになっている。正面口には移設された扉の代わりに「影」としての新設された扉が入口を塞いでおり、修繕された現在の地蔵堂の出入口は裏手にある。身を屈めるようにして入口をくぐると、ところどころ破けた鰐口が吊るされ、隅には「地蔵盆」での清め塩が置かれた狭い異空間へと観賞者は誘われる。
空間の中では、すきま風とそれに揺られ軋む木材と自身の息づかいが交差する。沈黙の中、観賞者は「六画台座」に向き合う。この台座の上に「子育延命地蔵尊堂」は鎮座していた。災害の犠牲となった水夫たちの鎮魂の場として、もしくは田植えをする若い夫婦の代わりに子守りを助けた地蔵の伝説を言い伝える場として、地蔵堂は機能してきた。そして、史実と伝説の中心である地蔵尊像の不在によって、観賞者はこの「六画台座」に、見える筈もない像の姿を見るだろう。
修繕された本作品は、最終的に作家自身によって解体される。そして、解体された地蔵堂の残骸は、新たな建築物の血肉として、 破壊を担った作家の手によって再び生を与えられることなる。すなわち、 建物の残骸を集積し、別の資材と混ぜ合わせることで、全く異なる建造物を製作しようというのだ。そしてそのプロセスは、作家がその手を止めるまで、半永久的に繰り返される。
姿を変えながら、ひとつの場所に留まることなく空間を移動し続けるこのフローの中でこそ、建物は生き続ける。小名浜の地で只解体を待つのみだった未来から分岐し、その存在を朽ちさせるまで、生を全うするのだ。地蔵堂に刻まれた小名浜の死者と生者の記憶は、別の文脈 に接続されることになるかもしれない。そしてその偶然の出会いは、作家の思考の範疇を越え、メタモルフォーゼを遂げ、 一つの生命体として独立することだろう。
2020年3月11日、WHO(世界保健機関)のテドロス事務局長はCOVID-19(新型コロナウイルス感染)の流行をパンデミックだと発表した。感染予防の為に人との直接接触を避けなくてはならない日々がはじまった。他人との接触を避けるために、自宅に閉じこもり生活をする人が増えた。こうした事から、これから先の「生活スタイル」と「住宅のかたち」に関心を持つ人も増えた。そして、オンラインでの体験が豊かになる一方で、フィジカルな経験の価値について改めて考えなおす契機となった。
そんな状況下、私はしばらくの間スマホ画面(社会の事情)から距離を置いて、自然界のアーキテクチャ(構造)にヒントがないか向き合った。アトリエがある秩父の森林の中で得たとても些細な思考を手がかりにし、創造力をつかって「第四の部屋」へ繋げてみようと思う。本当に些細だが「落ち葉を掃く」「タケノコを食す」このふたつの小さな体験をヒントに考えていく。(「第四の部屋」とは私がいま密かに綴っている現代住宅のステイトメントである。)
春から初夏の森林には、秋から冬にかけて木々が落とした葉が積もっている。斜面の落ち葉は、斜面下部に多く堆積し、その一部は腐葉土となる準備が進んでいる。腐葉土とは、落ち葉が土壌微生物(バクテリア、藻類など)や土壌動物(ミミズ、ナメクジ、ダニなど)によって分解されて土状になったものだ。落ち葉は植物の死骸であり、その死骸を土壌微生物や土壌動物が消費している。草食動物が植物の生きた部分(新鮮な草や実など)を食べる事でまわっている食物連鎖とは異なる生態系の連鎖を、土壌微生物や土壌動物は担っている。森林生態系において腐葉土を含む腐植物質の役割はとても大きい。腐植の連鎖と共に森林は維持されている。
人が森林に入って、落ち葉を掃き、道をつくる。すると、そこには日が当たり、隠れていた雑草が生える。森林では、腐植の連鎖によって半永久的に循環可能であるが、人の手で新たな道をつくる事も可能である。人がつくった道が森林全体にとって風通しよい通路と成るならば、腐植の連鎖を含む循環活動と新たな道の整備は共存する事も出来るだろう。
住宅に「第四の部屋」をつくる事は、もしかしたら森林の生態系に手を入れる事に似ているかもしれない。いま多くある住宅の役割はシェルターとして人を外部から守るものであって、外部の事象を持ち込む事を拒んできた。揺るぎないシェルターこそが優れた住宅だとハウスメーカーは売り込み、消費者はそれを鵜呑みにしてきた。だから雑草が生える事を許さないし、新しい道もつくれない。そんな状況だからこそ、住宅内部に風通しのよい通路をつくる必要がある。集積し成熟した腐葉土を循環させるように、日々の生活を送りつつ、風通しの良い新たな通路をつくり続ける事が「第四の部屋」獲得のひとつの方法だ。
竹林に入って土から顔を出しているタケノコを幾つか見つけ収穫の目星をつける。地表にしっかり顔を出したタケノコは既にえぐみが強くなりはじめているため、僅かに土から芽が見える程度のものを探す。多くのタケノコは10cm以上しっかりと顔を出している。そんな中で二本の芽を見つけ、そのうちの一本を掘り起こす。タケノコは収穫した直後から急激にえぐみが増加するため、すぐにアク抜きをし調理しないと成らない。タケノコ堀りの魅力は、取れ時と食べ時の短さだ。
タケノコは、地表に出てから1日5cm程度の成長の速さだが、1週間も経つと1日50cm以上の早さに加速する。そして、ひと月もしないうちに5mを超える高さになる。タケノコに帽子をかぶせて置くと、あっという間に人間には回収出来ないところに帽子は移動してしまう。つい数週間前に目の前にあったものが、今では手の届かないところにある。二本見つけたうちの一本は料理して食し、もう一本は5mを超える立派な竹となった。
同じ地点に存在していた事物はそれぞれ異なる地点に移動した。タケノコを食す経験は、5mに育った竹との関わりも含め持ち帰えられた。持ち帰った事物の周辺に付属する事項も一緒に持ち帰えられるのだ。
こんな風に家に持ち帰ったものが、外部と繋がっている状態を維持する事は出来ないだろうかと考えている。例えば人と食事に行った経験、映画を観に行った経験、美術作品を観た経験、教会に行った経験など外部での経験を持ち帰り保存する場が「第四の部屋」である。
人との接触を避けなくてはならない日々、社会は混乱が続き、人を招く事が難しい中でも「外の世界にある社会の希望を家に持ち帰り、ゆっくりと熟成させる住宅」への道をつくらなくてはならない。はるか昔の民家は外部と内部の境界が曖昧であった。外からの光、外からの風、外からの音を存分に取り入れていた。しかし現代人にとって、その様な家では生活出来ない。シェルターとしては不十分な住居である。
現代住宅が内部に閉じない為に必要なのは、外部からの光や風や音や視界といった直接物理空間を操作する事では無く、文化を中心とした外部での経験が要となるだろう。個人が美術品を買って保存する義務と責任の先には、その作品をアーカイブする「希望ある住宅」が必要だ。「第四の部屋」に求められる空間は住み手によって変わる。そして、住宅にアーカイブされた経験は別の経験と結びついたり、家に招いた人に伝染したりする。アーカイブされた経験はゆっくり熟成していく。外の世界が混乱していたとしても、「外の世界にある社会の希望を家に持ち帰り、ゆっくりと熟成させる住宅」を目指して少しずつ人を招けば良いのだ。
話は、ふたりの「ケヴィン」からはじまります。ひとりは、著作『都市のイメージ』『廃棄の文化誌』にて1960年代に注目された都市計画家のケヴィン・リンチです。もうひとりは、伝説の雑誌『Whole Earth Catalog』元編集者で、雑誌『WIRED』初代編集長のケヴィン・ケリーです。
「建築・都市設計」の基板は新たなフェーズに移行しています。Googleなどのテック企業は、都市を「街ごと」買い上げして、都市デザインの実験をしています。(Google関連会社のサイドウォーク・ラボはカナダのトロント・ウォーターフロント地区で都市開発をはじめている。)地球規模で資源と資本のバランスが極まり飽和状態となったいま、インターネット誕生以降の価値変動が、現実の都市空間にも大きな影響を与え、都市計画のもつ意義も少しずつ変革し始めています。そんな時代において「廃墟となった空間で見る夢」を想起して話をしていきたいと思います。
ケヴィン・リンチの『廃棄の文化誌』。この本のプロローグは、2つのディストピアを描いたフィクションからはじまります。それらの「ディストピア世界」を下敷きにして、リンチは「廃棄された場所は絶望の場所であるが、多くの魅力がある場所でもある。また、様々な管理から解放され、自由な行動と空想を求める豊かさがある。」と述べています。加えて「新しい物・新しい宗教・産まれたての弱いものを保護する場所でもある。それは夢を実現させる反社会的行為の場所で、探検と成長の場所である。」と、かなり大胆な視点を提示しました。我々がまだ見たことが無い新しい景色をつくり上げる為にも、建築家や都市計画家はそんなディストピアの世界でこそ、計画図を描き実行する必要があると、リンチは我々にメッセージを送ったのです。廃棄された空間こそ創造的な場所であり、流動的な都市空間の中で最も重要なトポスなのです。
ケヴィン・ケリーは、今年『WIRED』の中で「ミラーワールド」というキーワードを提示しました。リアルワールドとその映し鏡の世界が統合される空間の重要性を述べています。デジタルツインという、現実の情報をスキャニングして構築された世界とリアルワールドの交差点に「ミラーワールド」は立ち現れると言います。インターネット誕生以前のものづくりは、ブロックを積み上げるLEGO的な創造域を出発点としていました。そのためテクノロジーはその延長にあり補完する術でしかありませんでした。しかし現在は、Minecraftの様にリアルワールドの外側に無限に広がるオープンワールドの中で「重力」にも「質量」にもに捉われる事のない仮想ブロックを、どこまでも積み上げていく事で、もうひとつの世界を建設できます。世界で活躍する若き建築家達は、建築設計のツールとして、仮想現実の技術やゲームエンジンなどを積極的に使っています。またBIMなど現場管理のシステム構築にも取り組んでいます。建築保存の分野においてもlidarやPhotogrammetryなどの技術を使い、これまでの建築保存とは違う保存法を更新しています。しかし、これらの動向に反応を示している日本の建築関係者は一割にも満たない状況です。今や金融システムと同じ様に、建築や不動産の業界も巨大な怪物的な循環システムとなっています。そして、その循環システムの中で私たちは生きています。
廃棄された場所(それはキタナイモノとして扱われた場)を起点に、我々アーティストは飽和状態のシステムから解放された新たな世界(それは高性能なグラフィックボードが描き出すオープンワールドや、現実世界をトレースし数値化して生まれたミラーワールドの様な世界)をレンダリングします。その世界はバグだらけの世界かもしれません。それでも、キタナイモノが社会のヒエラルキーの底辺にあるという意識を反転させた現実の鏡となる「もうひとつの世界」を我々アーティストはつくっていきます。
環境犯罪学の世界では「割れ窓理論」というものがあります。建築物の窓ガラスが割れている状態を放置して置くと、周囲の建築物の窓ガラスを誰かがまた割り、その地域の治安はどんどんと悪化するので、犯罪の痕跡を街に残さずに、取り締まりを徹底していくというのもです。社会から抑圧を受け、行き場のない自己を解放するために、窓ガラスを割ってきた表現者たちは、犯罪者として徹底的に取り締まられ、浄化の流れに抗うことは出来きません。
「荒れる中学」といわれた80年代、不良学生たちは校舎の窓ガラスを割って自己主張しました。その後、若者に圧倒的な影響力を持った歌手がヒットソングで、学校の窓ガラスを割ってまわったと歌い、その歌詞に影響を受けた不良でない若者たちも窓ガラスを割りました。昭和まして平成も終わった今、若者の表現の場(ここではあえて表現と言ってみます)は大きく変化しました。
昨年日本でも公開された映画『 ジェイン・ジェイコブズ ニューヨーク都市計画革命』(原題「Citizen Jane: Battle for the City」監督 マット・ティルナー |2016年|アメリカ|92分)をきっかけに、都市ジャーナリストのジェイン・ジェイコブズが再注目されています。彼女は都市犯罪を抑止するためには、人々の営みと建物の用途に「多様性」が必要だと述べています。60年代、モダニズムを下敷きにして、グリット上に建設された集合住宅に住う人々は、そのグリットの都市空間に閉じ込めれていました。彼女は閉じ込められた人々の営みを解放するために行動したのです。
実は、私も窓ガラスを割った事があります。しかし、割った窓ガラスの数よりも、建設作業員として直した窓ガラスの数の方が多いです。そう、誰かが割ったガラスは、誰かが直します。何かを壊す事と、何かを治す事は表裏一体です。誰かを傷つける事も、誰かを救う事も切り離せないのと同じです。私は建設業務上の「直す」という行為が好きです。 建物の修復を通じて、人々の心も修復出来ると信じているからかもしれません。
「直す事」も表現と成り得ます。とうぜん「壊す事」も表現と成り得ます。そうやって我々は、多くのものを傷つけ、それでも救いの術を求めてきました。だから我々は、都市空間に「表現の場」を作っていく必要があるのです。
昨今、丹下健三の再評価が目立つ。近代以後に、人々が紡いできた「都市開発」は素晴らしい効率的人工都市だった。土地の収益を最大限に拡張して行く事こそ、恒久的な街だと信じて都市は設計されてきた。首都圏に限らず、その為の交通網を日本全国に敷いてきた。地形を掌握する土木事業と人口獲得があってこその開発と資源。収益の最大化を最優先にし、その土地の背負うリスクを考えてこなかった。液状化する埋立て地も、津波による災害から逃れられない海抜の低い土地も、収益の最大化というビジョンの元に提出される設計図には計上されなかった。大きな震災から七年が経った今。それでもまだ「戦後に偉人が成し得た人口都市の成功例」と「無条件に共有される伝統という虚構の街並み保存」を力点に語られる建築土木界。若い建設作業員は、どんどん減っている。建設現場に「職人」といえる作業員が殆どいない事は、若き建築志望者達も気づいている。限界集落をはじめ、各地方では「今ここにある資源を利用していく事でしか生きていけない」という現実、そして放っておくことの出来ない負債を「恒久的で無くとも、最大で無くとも、収益にするアイデア」を求めている。それはもう「資源」では無く「ゴミ」でしか無い、既に「資源」とは言えない。余りにも劣化した都市の計画図に、若い表現者は興味無い。そもそも、丹下の時代とは異なり、設計された「図すら存在しない」こともある。日本のこの湿度が高くジメジメとした蒸し苦しい夏になると、我々は無条件に過去に起こった悲劇を思い起こさせられる。戦後日本に山積みになった社会問題とされる課題が飽和状態となった平成の後半に、大きな震災やグローバリズムの解体があり、もう何処から課題を片付けていいか分からない状況、身動きの取れない状況を続ける事は、「図すら存在しない」時代の延長になってしまう。だとしたら半世紀前に造られた効率的な都市設計によって敷かれた交通網を使い移動する我々はいま、どんな設計図を提示するべきなのだろうか。
大型ホームセンター行くと、木材コーナーにパーチクルボードという、木の小片に合成樹脂接着剤を塗布し一定の面積と厚さに熱圧成形してできた、木質ボードの板状製品が置いてある。原料としては主に産業廃棄物として回収された解体廃材である。私はホームセンターに行く度に、今でも、あの光景を思い出す。それは酷いトラウマとして、そして夢の様な冒険記として記憶に深く残っている。
この仕事をはじめてもう少しで20年が経とうとしている。十代の私にとって建築現場は憧れの地であった。自分がいつか建築家になって歴史に残る建造物を建てる日を夢見て、工事現場の派遣アルバイトを高校生の私は始めた。その殆どは荷揚げ作業や掃除作業だが、学校の教科書では学べない経験ばかりであった。体力的にはきついが、学べて稼げるのであれば、必要なだけ働くつもりでいた。SF映画のワンシーンのようなあの光景を体験するまでは。
そこは粉塵で視界が全く無い深い人工の洞窟の中。その洞窟の正確な寸法は覚えていない。直径十メートル以上はあった様に思う。私たち作業員は、大袈裟なマスクとゴーグルをして、地上から階段で深い底まで降り、ブラシで大鋸屑の掃除をする。洞窟の上部には巨大なミキサーがある。産業廃棄物処理認定を受けたトラックが廃木材をそのミキサーに投げ込む。ミキサーで粉砕された木のチップはパーチクルボードの材料になるらしい。そこで働く在中作業員が昼休みに教えてくれた。この日は体の器官中に粉塵が入り込んだ感覚で、まともに昼飯が喉を通らなかった。身体の危機を感じて食事どころではなかった。二年続けた派遣のアルバイトはこの日で辞めた。次の日も同じ産業廃棄物処理工場の地下清掃が派遣先だったからだ。身体が洞窟を拒否する感覚と恐怖で電車に乗れなかった。
私が美術をやる意味は、あの光景を忘れないで生きていく事と近いのではないかと思っている。廃棄の先に生産された一枚の圧縮されたボードと、あの経験を切り離さなさずに生きていくこと。あの洞窟は、私の好奇心を餌に、体を疲弊させ意識範囲が狭くさせ、感覚が自己把握できない状態に陥りさせた。しかし、朦朧とした私は身体の危機を感じつつも、何か興奮していた。廃棄物の末端の世界に私はいた。それはメトロポリスの世界か。ブレードランナーの世界か。アキラの世界か。
いま施工中の工事現場まで千駄ヶ谷駅から歩いている。目の前には新国立競技場の建設が急ピッチで進んでいる。もう後戻り出来ない状況から、開催への道を推し進める祭典への高揚する気持ちが湧き上がる。モニュメンタルな建造物は完成の瞬間にオーガズムに達するのではない、建設中こそ最も興奮する。あの前の国立競技場は何処へ行ったのか。何処へ廃棄されたのか。そんな過去の競技場の行方と、実現しなかった競技場へ想いを馳せながら、缶珈琲で冷えた手を少しばかり温めて現場に向かう。
去りまた来る大規模災害と祝祭を前にして。共同体の「文化か安全か」。我々はその二者択一を突きつけられている。
この先、数十年後を考えるならば、第一に安全が重要であることは疑いの余地はないが、一方で共同体の文化や営みを考えることも同じく欠かせない。
この「いかなる街をつくるか」という難問を前に、我々はただ沈黙することは許されず、常に誰かに解答を迫られている。
約半世紀前に、生命として建築と都市を捉える想像力を掲げた先人がいた。
彼らは、都市全体を細胞の集まりと見立て、状況にあわせて生まれ変わっていくような、可変的で柔軟な身体性を持った都市を夢見た。
その思想は実らなかったが、この国が過渡期にある現在だからこそ、もう一度立ち戻って検証してみる必要があるのではないか。
わたしは「豊かな仮設」を試みる。
主に仮設という言葉は画一的で無機質な固いプレハブ小屋を想起させるだろう。わたしが提案する「豊かな仮設」とは、「風化と更新」をその特性とする。「豊かな仮設」における建築は、数年で建物自体が部材の劣化によって風化していくものである。
しかし、風化していく度に、進行形で移り変わる状況に対応していくような可変的な身体を志向する。ちょうど戦後の焼け野原に建ったバラックのように。
それこそが「豊かな仮設」であり、そしてその中で待つことで、かの難問である現在の街を考えるための時間を作る。
我々は「豊かな仮設」の中で暮らしながら、目下の地面を暴き出す。そうして現れた、歴史と文化が刻まれた地層の断面を解析し、最後に杭を打ち立て、新しい街をつくる足がかりとする。
すなわち、考えるために待つのだ。
そのための「豊かな仮設」である。
思考しながら待ち、地下を掘りつづけながらも潜伏し、手を止めることなく目前に広がる地層と対峙する。それは正しく、時間の蓄積であり、文化や歴史や因縁の堆積物との対話である。
縦方向に連なる層を読み解くために、わたしたちは遥か下方に潜りつづける。
座標軸にある理論上の原点に至るまで。
「model room / モデルルーム」Statement
満足に眠ることもままならず、自国の未来を想像することもできない。そんな今「夢を見ること」は限りなく不可能になっている。インターネットにはフェイクニュースと下品な広告ばかりが溢れた現代。イメージだけが氾濫し、イマジネーションは枯渇して行く。しかし。こんな時代だからこそ「夢を見ること」について我々は考える。
夢というものは「過去と未来」その両方からやってくる。そしてそれを同時に具現化した空間が「モデルルーム」だ。昨日までの日常。そして、これから訪れるであろう新しい生活。ふたつの異なる時間がひとつの密室にフィードバックされ、人々のイマジネーションは活性化する。つまり「モデルルーム」とは人間に夢を見させる装置なのである。
『僕はアパートの壁に寄りかかって、かつての恋人を想う。若かりし頃に戻りたまふと願わん僕の愚かさ。この部屋の外に夢は無い。この部屋で寝ていたら、まだ少しの夢はみれる気がする。きっとこの部屋の前の住人も、僕のあとに住むであろう住人も、この部屋でなら夢はみれるはず。』
『薄いカーテンをつらぬいて差し込む太陽の光が嫌いだから、布団から出るのがめんどくさくなって、学校を休んだ。だけどすべてが手の届くところにある。友達も、アニメも、YouTubeも、食べ物も、顔を見たことのないちょっとだけ好きな人も。そして夢を見ないためにクスリを飲んで、わたしはこの部屋と世界をリミックスする』